先生選び2
前号で先生選びについて書いて行きましたが、
今日はその続きです。
先生を見つけていく過程について書いて行きます。
この週末はあの原山さんの生誕祭および前後祭にでていました。
学ぶことがとても多かったです。
どうやって一番の先生にであえるのでしょうか??
そんな質問を時々いただきます。
が、これって、
今まで
もしくはあなたが今、
何かを教わっている人に対してめっちゃ失礼なこと!!
ってきがついてます??w
( ´ ▽ ` )
まずはそこがスタートです。
実は
わたしは今まで先生位選びに迷ったことがありません。
必ず必要な人が目の前にいつも現れました。
だから自分で選ぼうとしたことがないw
でもね、
1つだけ決めていたことがあって
教わることは全部やる
教わると決めたからにはしっかりとついていく
ということでした。
あちこち自分の都合でわたり歩かない
それは自分の信頼をなくすことだから
と最初から知っていたからです。
そしてわたしがバリ島の師匠からも
現在のパリ在住の社交の師匠からも
同じくらい口を酸っぱくして言われていることがあります。
それは、
どんなときも、その場所への入りと出には
必ず師匠とお世話になった人への挨拶をしなさい
ということ。
こういうことをしっかりはっきり礼儀として叩き込んでもらいました。
叩き込んでもらったからこそ、
今のわたしがあります。
よくよく考えてみれば
これって武道をやっていたおじいちゃんの教えと変わんないです。
道場に入るときには
礼から始まり、礼に終わる。
これって、小さいことだと思いますか??
でも
実は
とっても
大きな重要性を持ったこと
なのです。
先生選びの基準はなんですか?
どんな人がメンターといわれるべき人ですか?
とある方が先日の「あの原山」さんの生誕祭
アフターで聞いておられました。
その意見がわかりやすく的を射ていて、
そして反論の余地がなかったです。
「ダメなことをダメ、間違えてることは間違ってる
そうはっきりと言い渡せる覚悟のある人」
わたしも似たようなことを考えていましたが
まったくもって隙がない完全な答えだなと思いました。
先生選びは、
あなたの都合を満たすものではない
からです。
先生につくということは
その教えをしっかりと実践(行動)しながら学び
二人三脚をハード面でもソフト面でも組むことだと
わたしは考えています。
自分に都合の悪いことを言う
自分が叱られる(怒られる)のが嫌だ
自分の自由にしたっていいじゃないか
いままでこうだったからこれだってわたしの精一杯なんです
とおもったり、言い訳したり、反論したりしているひとは
本当の人生の先生、師匠、メンターには出会えないです。
信頼しあえる良い先生選びには
自分の都合をなくすこと
です。
わたしは師匠達から選ばれて側においていただきました。
どなたも、
誰でも彼でも教えない。
門下に入れないと言う人たちです。
その教えを貫いて
わたしもこの人はと思うことがあればこそ
で門下に入れる人を選んでいます。
セミナーに来るクライアントと弟子は別物
わたしはそう教わってきたしそうあるべきと思っています。
本気でこちらもかかってるから
本気で返してこい
です。
もう一回言います。
あなたの都合良い人を先生にしたら
あなたは決して伸びません。
ダメなことはダメ
間違えてることは間違えてる
聞く気がないなら教えない
なぜならわたしのアドバイス(教え)をあなたは受け入れる気がないですよね?
わたしの各分野の師匠、そして尊敬する経営者は
こぞって同じことを言います。
あなたの都合よく
自分をわかってほしい
わたしは頑張ってるんだから認めてほしい
わたしはちゃんとやってるはずです
っていうのはビジネスでは通用しない。
ビジネスで通用しないと言うことは
普通の人生でも通用しません。
ちょっと今日は厳しいことを書いちゃっったな??
この先生えらびについては
まだまだ続きます^^
今日はここまで♪( ´▽`)
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