ソーシャル戦争、もうやめにしませんか?
世界一周の話を違う角度から描いています。
今回はMarrakesh編の続きも含めて描いていきます
タイトルもこのところは世界一周とは関係ないタイトルでももういいかなと思うので
こう言ったタイトルになっていってますねw
そうそう。
マラケシュね。
Marrakesh。
サンセット後の夜のMarrakesh名物、
ジャマエルフナ広場の屋台街の光景。
日に照らされてちょっと顔が赤らんでますが、
飲んでないのよ^^
イスラム圏だからねw
イスラム圏て怖いイメージありませんか?
わたしはばっちりありました。
もう散々ドバイやらアブダビやら世界的大都市にもいって
若い頃はイスラエルとかそっちのほうまでいっちゃって
散々見てきて
すっごい誤解だっていうことに気がついていきました。
が、
顔が怖い
とか
代々木公園のイラン人のテレホンカード売りの印象
が
バッチリすぎて!!
ちょっと怖い印象だった。
ヒゲの人が怖かっただけっていのとか
文化の違いで女の人があんまり街にいないとか
あとは何かあるとみんなで囲んで話し合うとかっていう文化
ですぐ取り囲まれて怖かった
っていうのがあって
でもそれって
文化の違いだった
っていうことでしかないんですよね。
つまり
怖かったのは
知らないから
だったわけです。
来る前の工藤さんなんてまさにこれで、
「自分で乗り換えできるかどうかが不安」
「一人でアラブ圏にいくのは危険」
っていう思い込みと勝手な決めつけでいっぱいいっぱいw
でも
じゃあいつ一人で国際線乗り継げるようにするの?
直行便高いじゃない?
直行便があるところしか行けない人生でいいの?
ってきいたところ
「それは嫌です」
っていうんですよw
もうも笑っちゃいました。
でもこれがいわゆる
海外旅行は怖い、悪いことが起こる
っていう思い込みの代表例なんじゃないかなって
思うんですよね。
知らないから怖い
だけなので
事前にちゃんと準備すればなんていうことないし
英語が喋れないなら喋れないなりの工夫だってできるわけですよね。
ちなみにわたしのスマホには4種類の優秀なトランスレーターが
入っていて、いつでも使えるように電源は入れっぱなしだし
通信制限もしないでいます。
(ソフトバンクさんほんとうにありがとう!!)
借りたり返したりの所作が面倒くさいしでかい格好悪いポーチで必ず渡される
現地対応Wi-Fi端末なんて「無駄なもの」は持っていくことはしませんね。
Wi-Fiがつながらない環境だったつながらなくっていい
って思えているし、
そのために自由な人生を歩いているからです。
無知は大罪の始まり
ということをどなたかが明言されていたと思うんですが
そういうことって本当にあるな
知らないが故に勝手に裁きを与えてしまい
その間違った裁きが
人生を狂わしてしまうとか
出会いを台無しにしてしまうとか
世界一周に行く前も
イスラム圏のMarrakeshでも
そしてこの沈黙のひと月の間にも
わたしはそれを強く感じたんですよね。
それはどんなことだったかというと
相手に興味を持って接しない限り真実は見えないしみてはもらえない
っていうことでした。
相手の文化伝統、状態をしっかり見る
上部だけではなく本当の交わりをする
そのためには
相手の置かれている状況や相手の思いなどに
相手自身がそれを話さなくても自らそれを
知ろうとする行為や考え方が必要
っていうことでした。
わたしは人に興味があります
その人がどんな風に育ってきたのかだったり
どんな考え方だったり
どんな行動を好んだり
なにをするのが幸せだと感じているのかだったり
その人自身にとても興味があります。
でも
相手はそうではなかった
ということがわかる瞬間というのは
ごく一方的に采配が下ります。
格好つけている
お金のことばかり言っている
商売が一番大事
そういうことにされてしまいやすくなります。
これって
モロッコで感じた
売りたいだけの売り子のお兄さんと
本当に親切でおいしいうちの◯◯食べていってっていうお兄さんと
の違いみたいなものだなと思いました。
相手に知って欲しい
相手に自分の持っているものを知って欲しい
そして
相手にとってそれがとても素晴らしいことになると知って欲しい
という考え方や基盤
そもそもいったら
宇宙の原理原則が分かっている人とそうではないひと
というのが本当に真っ二つに分かれてしまっているんだな
っていうのを実感した出来事がたくさんあったな。
そして、そういうことがどんどん拡大解釈されていくと
戦争になっていくんだな。
宗教も
SNS も。
そんなことに気がついた
それがわたしのMarrakeshの滞在とこの1ヶ月でした。
文化的に
何か見たらお金を払うのではなく、
勝手に見せておいて
見させておいてお金を要求する
ことが普通である超絶・主体型の民族と
私たち日本人の卓越しすぎた受け身の考え方とは
全く異なるなって思うんです。
このことはわたしの沈黙後の人間関係において
とってもフレキシブルで自由な風が入るきっかけ
となるかのように、大きな変化をもたらしてくれました。
とてもとても
大切な知となりました。
なにか情報を売ったり買ったりする前に
あなたは
ほんとうにその人やその場所やその事柄に
自ら興味を持っているだろうか。
そして普段から自分がどんなことに興味を持っているのだろうか
自分自身のことを知っているのでしょうか。
自分自身のことをよく知らない分かっていない
それが一番の罪作りの原因、1番のうまくいかない理由
かもしれませんね。
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